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    「ねえ」

    さう声に出してみた。そして犬の方をふりかへつた。犬は彼の方を信頼にみちた眼で見上げ、しなやかな尾を振つた。

    それは何となく「素人しろうとくさい」滑稽な云ひ方だつた。手こずつた主人がしらせたので、徳次の家からは家内のときが駈けつけて来た。泣いてとめた。半ば耄碌もうろくした父親も足をひきずつて来た。だが、騒ぎが大きくなるにつれて、徳次は前後を忘れてしまつた。はじめは煩うるさがつていた鬼倉もたうとう脅おどすつもりで短刀を抜き食卓の上に突き立てた。徳次は瞬間ぐつと大きく開けた眼をその白く光るものの方へ近づけた。もう何だかよく判らなかつたのである。やがて、突然、彼は見た。その不気味な白い刃を。或る一つの意識が、その危険さを認め、身ぶるひをさせた。が、すぐに、あの忘れがたい憤り、血に対する恐れと、それに反撥する怒りとがいつしよになつて噴き上つた。だが、次の瞬間には、酔ひの廻つた彼の頭はその光るものを忘れさせた。たゞ怒りだけがのこつて、燃えて、それも何かしらあたりの泣き騒ぐ音とごつちやになつてしまつた。彼は、鬼倉にぶつかつている気で、しきりと食卓の堅い縁にはだけた胸をすりつけながら叫んだ。

    「いゝえ、なんの。おれんとこへなんか。――あんたは忙しい身だもの」

    「いや、どうも」

    鍵屋の隠居神原直造は老来なほ矍鑠と云つた様子だつた。

    「おぢいさん、そんなに立つてばかりいないで腰をかけなさいよ」

    「うん。青島陥落の、ほら、旅団長閣下だよ」

    男はまだ立つて、あの話を持ちかける構へといつた風を持していた。

    「いや、――わしはそんなこたあ嫌ひだ」

    半ば感心し、半ば疑はしさうに、彼は指を自分の眼に向けてみた。

    「あんたも、おめでたいさうで」

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